Leitz Summaron 35mm f/3.5(M)
夕刻の興福寺五重塔 曇り空に浮かぶ興福寺五重塔のシルエット。巨大な塔だけあって、その構造美は他の五重塔の群を抜いている。時間帯は夕刻、今にも雨が降りそうな日の撮影であった。 撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M) 人気ブログ…
興福寺東金堂を見上げたシーン(レタッチ前) 写真は興福寺東金堂を見上げたシーンである。撮影機材は、カメラがライカMモノクローム(Typ246)で、レンズがオールドレンズの代表格であるライカのズマロン35ミリf/3.5レンズである。撮影時にフードを付けて、や…
興福寺東金堂の屋根 写真は興福寺東金堂東側の屋根を見上げたシーンである。細かく張り巡らされた梁と肘木などの組み合わせが大変美しい。ライカのズマロン35ミリf/3.5レンズは逆光に弱いレンズであるが、レタッチすることで光を弱めに抑えることができた。…
閉門後の興福寺東金堂の正面 写真は夕刻の閉門後の興福寺東金堂である。正面の大きな木扉に嵌め込まれた釘隠しの整然とした並びが美しい。手前の二本の木柱についても、経年変化による木目の意匠に個性があり美しさを感じる。 撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ…
興福寺東金堂と南円堂 再び興福寺境内へ。写真は興福寺東金堂と遠景に南円堂の風景。前景にある松の木と東金堂の重なりがいいと感じたシーンである。 撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M) 人気ブログランキング
興福寺東金堂の白壁 興福寺の東金堂は726年に、五重塔は730年の建立とされている。しかし、この寺院は度々火災や天災に遭い、現在の東金堂は1415年、五重塔は以前の記事で紹介したように1426年に再建となっている。写真は東金堂の白壁の一部である。巨大な木…
興福寺南円堂にて 興福寺南円堂は独特な形をした建造物である。興福寺のサイトにある説明によれば、813年に藤原冬嗣が父の内麻呂追善のために建立したと書かれている。現在の建造物は江戸時代のもので、創建以来4度目のものだそうである。手前に見える突き…
興福寺五重塔を望む 興福寺五重塔は、興福寺のサイトからの引用であるが、以下のような説明がなされている。 興福寺の五重塔は、天平2年(730)興福寺の創建者である藤原不比等の娘光明皇后の発願で建立されました。その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は…
修理が延期となった興福寺五重塔 2023年1月から修理が予定されていた興福寺五重塔。実はまだ修理が始まっていなかった。興福寺のサイトで調べてみると、以下のような説明が書かれてあった。このサイトからの引用文である。 ~五重塔修理工事に関するお知らせ…
興福寺中金堂にて 久々に興福寺へ訪れた。随分とここへは行ってなかったと思う。写真中央の新築同様の中金堂や手前の東金堂などこの寺院も見どころは多い。 有名な三面六臂の阿修羅像は、この寺院の国宝館で見ることができる。よく他県へ展示会のため出張(笑…
箸墓古墳と耳成山 箸墓古墳を一周して、古墳の北側からJR巻向駅へと戻る行程で、写真のように一瞬だけ耳成山が遠景に望めるシーンが現れる。全長約280メートルもある箸中古墳は横長に位置しているので、このシーンはわずかな立ち位置でしか見ることができな…
箸墓古墳の北側より撮影 箸墓古墳の北側に周って撮影したのが上の写真である。箸墓古墳は卑弥呼の墓であるという仮説が最近はよく言われるようになったが、確証があるわけではない。治定されている倭迹々日百襲姫命が、巫女的な存在であり、時期的にも箸墓古…
箸墓古墳と箸中大池 箸中古墳群の一つ、箸墓古墳で撮影した写真。古来からこの古墳には大きな周濠があったわけではなく、いつの頃からか北側に大きな溜池ができた。これを箸中大池と呼んでいる。写真は農業用水に使った後なのか、水門が開かれていて水が干上…
箸墓古墳と二上山 山の辺の道からJR巻向駅へは歩いて約20分くらいかかる。その巻向駅からさらに約10分歩くと箸中古墳群の一つ箸墓古墳に着くことができる。一枚目の写真は箸墓古墳の西側にあたり、田園風景が広がる。遠景には二上山を望むことができる。 倭…
明けましておめでとうございます!本年もこのブログをよろしくお願い致します。 以前、はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」という企画があり、それに便乗して僕が所有しているライカのレンズ、ノンライツのレンズについて好みのものを紹介した。今回…
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」と題して、はてなブログからお題が出ていた。今年の僕の総括として「わたしの2022年」だけを取り出し、『山の辺の道と柳本古墳群』と題して記事を書いてみた。 山の辺の道沿いには、いくつかの古墳群が存在…
渋谷向山古墳の周濠 渋谷向山古墳(景行天皇陵)の周濠を撮影。この古墳は国道沿いにあり、奥に写っている建物群がその道路沿いのものである。拝所はその国道側にあり、さらにぐるっとここから半周ほど古墳の周りを歩かなくてはならない。国道側が、ちょうど…
渋谷向山古墳の周濠(その1) 古墳の周濠に沿って歩いていくと、上の写真のような場所に辿り着く。冬場は古墳周りの草木も刈られていて、写真撮影には最適である。特にこの辺りの何もないところでゆったりとした気持ちで寛ぐのも良い。 撮影機材:LeicaMMon…
渋谷向山古墳を巡る(その1) 渋谷向山古墳の西側から東側へ進む。その途中に前回の記事の大和三山が一望できる観光スポットがあるが、そこをスルーした場合、一枚目の写真の石畳の道へと続く。 渋谷向山古墳を巡る(その2) さらに渋谷向山古墳沿いに進ん…
大和三山を望める景観スポット 渋谷向山古墳の周濠沿いに西側へ向けて歩いていくと途中に大和三山を望める景観スポットがある。少しだけ坂道を上がっていかねばならないが、その展望地に立つと荘厳な景観に圧倒される。上の写真の中央やや左寄りに耳成山、そ…
渋谷向山古墳にて 写真は景行天皇陵と治定されている渋谷向山(しぶたにむかいやま)古墳である。柳本古墳群には13もの古墳が集中して存在していて、その中でこの古墳が最も規模が大きい。全長が300メートルの古墳時代前期の前方後円墳である。撮影場所…
渋谷向山古墳の案内板 山の辺の道の見どころの一つである柳本古墳群にあっては、最も巨大な前方後円墳である渋谷向山古墳。この付近の盟主墳とも言われる所以である。案内板には説明が詳細に書かれていて興味深い。もう目の前に渋谷向山古墳が迫っている。 …
山の辺の道(丸山古墳にて) 山の辺の道の途中にある丸山古墳。「景行天皇陵飛地ろ号」とも言われ、他にも近くに赤坂古墳があり、こちらは「景行天皇陵飛地は号」と名前が付いている。あまり大きくない円墳であるが、山の辺の道ならではの古墳散策が楽しめる…
山の辺の道(渋谷向山古墳へ向かう道) 桜井方面の渋谷向山古墳(景行天皇陵)まで残りあと1.1kmのところまできた山の辺の道の標識。これは南ルートから見ればの目安だが、反対方向の天理へ向かう北ルートに向かっていく場合も、この地点ではやはり行燈山古…
渋谷向山古墳への道(その1) 山の辺の道。「さわやかトイレ」を過ぎて、行燈山古墳からさらに渋谷向山古墳へと向かっている途中の場所。奈良の風景らしい一幕。 渋谷向山古墳への道(その2) 山の辺の道はずっと平坦なわけではなく、途中で石階段を少し登…
山の辺の道(渋谷向山古墳への道) 行燈山古墳から再び山の辺の道へ入ると少し下り坂が続く。途中で二枚目の写真の「さわやかトイレ」があるのだが、現在は改修工事中で使用できない。「令和5年2月17日」までと期間が示されている。この「さわやかトイレ…
行燈山古墳とその周濠(その2) 行燈山古墳をその周濠のコーナーから撮影したシーン。濠に写り込んだ前方墳部分が美しい。右手には小さくカモたちが古墳へ向かって泳いでいくシーンも映っている。ズマロン35mmレンズは、ライカのレンズにあっては、ハイス…
行燈山古墳とその周濠 再び行燈山古墳に戻ってきた。夏の時期と違って今のこの季節には、古墳の周濠付近の雑草は全て刈り取られており、ぐっと古墳に近づくことができ、古墳全体の規模が分かりやすくなっている。Summaron 35mm f/3.5レンズの描写も素晴らし…
櫛山古墳から行燈山古墳への道 櫛山古墳の墳頂からまた来た道を戻り、行燈山古墳の南側へ出る。ここからは再び山の辺の道へ戻ることのできる場所である(右手が行燈山古墳)。すぐ近くに「さわやかトイレ」が設置されていて、休憩所としても最適な場所である…
櫛山古墳の造り出し 櫛山古墳が築造された年代は4世紀後半(古墳時代前期後半)と考えられている。また、この古墳が興味深いのは前方部の半分もの大きさのある造り出しが存在することである。この大きな造り出しがあることから、櫛山古墳は双方中円墳ともよ…