古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

閉門後の興福寺東金堂正面にて

閉門後の興福寺東金堂の正面

写真は夕刻の閉門後の興福寺東金堂である。正面の大きな木扉に嵌め込まれた釘隠しの整然とした並びが美しい。手前の日本の木柱についても、経年変化による木目の意匠に個性があり美しさを感じる。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Heliar vintage line 50mm(M) f/3.5

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興福寺東金堂と南円堂

興福寺東金堂と南円堂

再び興福寺境内へ。写真は興福寺東金堂と遠景に南円堂の風景。前景にある松の木と東金堂の重なりがいいと感じたシーンである。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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若草山の山焼きについて

Night of Fire by Hiro .M on 500px.com

 写真は、2015年1月に撮影した若草山の山焼きのシーンである。本日は2023年の山焼きの日である。あいにく天気は朝から薄っすらとした雪に覆われ、午後からも地面があまり乾いていない感じであったが、無事行われていたようである。若草山は普段は夜景の綺麗な場所で、全山芝生で覆われた円い丘が三つ重なった山である。展望台へは車で登ることができる。奈良公園へ出向いている鹿たちのほか、若草山の奥深くに住む鹿たちも多いようである。この若草山の山焼きの起源について、若草山焼きのサイトから引用してみた。

若草山三重目の頂上には、鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)という前方後円の巨大なお墓があります。その昔、このお墓から幽霊が出て人々を恐がらせるけれど山を焼くと幽霊が出なくなるらしい、また翌年1月頃までに山を焼かないと良くなければ、なにか望ましくないことが起こるらしい、などの迷信が長く続き、この山を通る人が勝手に火をつけるようになったといわれています。
これにより東大寺境内に火が迫る事件が再三起こり、1738年12月に、奈良奉行所は若草山に放火禁止の立て札を立てました。しかし、その後も誰ともわからないまま放火は続き、近隣の寺や神社へ火が燃え広がるなど危険が絶えなかったため、江戸時代末期頃には若草山に隣接する東大寺・興福寺と奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。
このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養のためでもあったといえます。

というものである。鎮魂のための行事というのが定説のようであるが、山焼きの歴史自体はまだ浅めである。平成21年(2009年)には、山焼きは1月第4土曜日に開催されるようになった。また、平成22年(2010年)には、平城遷都1300年を契機に花火が約600発打ち上げられた。写真の2015年の山焼きでも多くの花火が打ち上げられていた。この年の火のまわりはあまりよくなかった。露出はずっとシャッターを押しっ放しの状態で、カメラに布を時々被せながら撮影した。したがって露出時間が819秒となっている。絞り値はF11としていた。

撮影機材:Sony Alpha a7 + FE 70-200mm f/4 G OSS  (200mm ƒ/11 819s ISO 100)

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国内最大の円墳から驚きの発見!

昨日、奈良市の富雄丸山古墳で発見された類例のない盾形の銅鏡と蛇行剣と呼ばれる鉄剣が全国的なニュースとして流れた。僕もこの発見には、大変驚くとともに、さらに古墳への興味を誘った内容であった。以下、毎日新聞のニュースからの一部引用である。

奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山古墳(4世紀後半、直径109メートル)の未盗掘の埋葬施設から、過去に類例のない盾形の銅鏡(長さ64センチ、幅約31センチ)と蛇行剣と呼ばれる鉄剣(全長237センチ、幅約6センチ)が出土した。

mainichi.jp

以前このブログでも紹介した、三角縁神獣鏡など銅鏡34面が一挙に見つかった未盗掘の黒塚古墳(天理市)を超えるようなビッグニュースであった。今回のニュースの衝撃は、石棺内に2名の被葬者が東枕で埋葬されていた藤ノ木古墳の発見(昭和63年・1988年)以来の大きなものであった。斑鳩に眠る二人の貴公子については、いまだに謎のままであるが、この時同時に見つかった夥しい量の副葬品も併せて大変な発見であった。今回見つかった蛇行剣については、それまで最長とされていた中小田第2号古墳(広島市)の蛇行剣(115センチ)より2倍以上の長さで、最古にして最大のものであることが分かっている。しかもこの蛇行剣のグリップ部分は、藤ノ木古墳で出土した大刀のグリップ部分と形がよく似ている。

この盾形銅鏡と鉄剣は昨年12月、富雄丸山古墳北東側に方形に突き出した「造り出し」内部の埋葬施設「粘土槨(かく)」から重なるように出土したという。円墳の被葬者も相当な人物と思われるが、造り出しに埋葬された人物はその腹心の部下なのであろうか。いずれにせよ重要な関わりのある人物に違いないと思う。まだ富雄丸山古墳の木棺部分の発掘が終わっていないので、さらなる発見に期待したい。謎の多いヤマト政権の全貌を少しでも紐解く手掛かりになればと思う。

以下関連記事

www3.nhk.or.jp

hasselphoto201909.hatenablog.jp

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興福寺東金堂の白壁と木柱

興福寺東金堂の白壁

興福寺の東金堂は726年に、五重塔は730年の建立とされている。しかし、この寺院は度々火災や天災に遭い、現在の東金堂は1415年、五重塔は以前の記事で紹介したように1426年に再建となっている。写真は東金堂の白壁の一部である。巨大な木柱は経年変化により、風格ある佇まいとなっている。東金堂の柱間は中央が広く、正面の一間が吹き放しで唐招提寺の金堂と共通点がある。二枚目の写真が東金堂正面の木柱である。

一枚目の写真:撮影機材:LMM(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

二枚目の写真:撮影機材:Sigma DP2 Merrill

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興福寺南円堂にて

興福寺南円堂にて

興福寺南円堂は独特な形をした建造物である。興福寺のサイトにある説明によれば、813年に藤原冬嗣が父の内麻呂追善のために建立したと書かれている。現在の建造物は江戸時代のもので、創建以来4度目のものだそうである。手前に見える突き出た部分は拝所となている。内陣には本尊の不空羂索観音菩薩坐像を中心に、四天王立像、法相六祖坐像が安置されている。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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美しいシルエットの興福寺五重塔

興福寺五重塔を望む

興福寺五重塔は、興福寺のサイトからの引用であるが、以下のような説明がなされている。

興福寺の五重塔は、天平2年(730)興福寺の創建者である藤原不比等の娘光明皇后の発願で建立されました。その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は応永33年(1426)頃に再建されました。日本で2番目に高い塔で、古都奈良を象徴する塔です。

創建当初の高さは約45mであり、日本全国で巨大な木造の五重塔を比較してみると、現在に残る京都東寺の五重塔が高さ54.8mで最も大きく、興福寺の五重塔が50.1m、京都法観寺の五重塔(八坂の塔)が49mとなっている。その中にあって、この興福寺五重塔のシルエットは際立って美しいと感じる。経年変化の雰囲気も重厚感を増し、素晴らしい建造物と感じる。

hasselphoto201909.hatenablog.jp

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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修理が延期となった興福寺五重塔

修理が延期となった興福寺五重塔

2023年1月から修理が予定されていた興福寺五重塔。実はまだ修理が始まっていなかった。興福寺のサイトで調べてみると、以下のような説明が書かれてあった。このサイトからの引用文である。

~五重塔修理工事に関するお知らせ~
五重塔を覆う素屋根工事の着工を令和5(2023)年1月から予定していましたが、奈良県文化財保存事務所より昨今の資材高騰の影響、ならびに本工事に際して調査すべき内容の追加等の事情につき、明年1月からの着工が延期されることとなりました。具体的な着工時期は未定です。詳細は情報が入り次第、お知らせすることといたします。

一旦は囲いまでしてあった五重塔の初層部分もいつのまにか外されてもとに戻っていた。写真の左手には、何か測量しているような様子が伺える。まだまだしっかりと眺めることのできる巨大な興福寺五重塔であった。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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久々に興福寺へ

興福寺中金堂にて

久々に興福寺へ訪れた。随分とここへは行ってなかったと思う。写真中央の新築同様の中金堂や手前の東金堂などこの寺院も見どころは多い。

有名な三面六臂の阿修羅像は、この寺院の国宝館で見ることができる。よく他県へ展示会のため出張(笑)に行かれている興福寺阿修羅像。この仏像は『八部衆』シリーズの一つである。像高 153.4cmで、釈迦を守護する神とされている。

その他、国宝館で僕が素晴らしいと感じる仏像が、もと山田寺の銅造仏頭である。685年に、天武天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂のために造った飛鳥の山田寺本尊像の頭部である。この仏頭は室町時代に被災し、頭部だけが残り、今の興福寺東金堂の本尊台座に納められ、昭和12年(1937)に発見されたという。この経緯を見る限り、数奇な運命を辿り奇跡的に美しい形で保管された仏様だと思う。白鳳期の作品とはっきり分かっていて、表情は明らかに天平期の仏像とは違い、瑞々しく凛々しい顔をされている。顔には被災した焼け跡が見られ傷ましい。参考記事は以下の興福寺のサイトである。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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コンタクトシートを作った

フィルム撮影したネガのコンタクトシート

箸墓古墳で撮影したフィルム二本を現像し、ネガのコンタクトシートを作った。撮影機材は、HASSELBLAD 500C/M(後期型)+ Planar 80mm f/2.8で、フィルムはIlford Delta400を使った。中判カメラでは、HASSELBLAD 500C/M(後期型) が最も気に入っている。初めはジャンク品扱いのHASSELBLAD 503CXを購入して使っていたが、こちらよりも造りのいい500C/M(後期型) に買い直した経緯がある。マットも見やすいアキュートマットDを使っている。撮影は快適である。レンズは定番プラナー80ミリを使っている。F値が明るいのとツアイスのレンズが素晴らしいと思う。

中判カメラでは、ローライフレックスの二眼レフを使っていたことがあるが、シャッター音が小さいため撮れているかどうか不安な点やフィルムの装填が僕は下手でなかなかうまく撮影ができなかった。ただローライナーが三種類あることは、ハッセルとは違う点で、色々な近接撮影が楽しめる点は良かった。6×6の撮影には、現在はHASSELBLAD 500C/M(後期型)を主に使っている。以下はHASSELBLAD関連の記事である。

hasselphoto201909.hatenablog.jp

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