藤原京は,持統・文武・元明と三代の天皇の時代に使われた都で,かつては藤原宮跡がどこにあったかという長い論争がなされた時期がありました。『萬葉集』に収録された「藤原御井歌(みいのうた)」によれば,藤原宮が耳成山・畝傍山・香具山の大和三山に囲まれていることがうかがえることから,おおよその位置は見当がつけられていました。実際に昭和九年から開始された発掘調査でこういった論争に決着がつけられました。この「藤原御井歌」とは以下のような歌です。この歌は藤原京を讃える歌として詠まれたもので作者は不詳です。長歌と短歌がありますが,ここでは長歌のみ取り上げてみます。
やすみしし わご大君(おおきみ) 高照らす 日の皇子 あらたへの 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安(はじやす)の 堤の上に 在り立たし 見(め)し給へば 大和の 青香具山は 日の経(たて)に 大御門に 春山と 繁(しみ)さび立てり 畝火(うねび)の この瑞山(みずやま)は 日の緯(よこ)の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成(みみなし)の 青菅山は 背面(そとも)の 大御門に 宣(よろ)しなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影面(かげとも)の 大御門ゆ 雲居にそ 遠くありける 高知るや 天の御影 天知るや 日のみかげの 水こそは 常(とこしへ)にあらめ 御井(みい)の清水(ましみず)
訳:日の皇子である大君が 藤井が原に宮殿を 造り始めて埴安の池の堤の上に立ち しばしご覧になられたが 大和の緑の香具山は 春山らしく東門にこんもり茂って立っている 畝傍の山は瑞々しい 瑞山として西門に山里らしくそこにある 青くすがすがしい山の耳成山は 北門にいかにもふさわしいように 神々しくも立っている 名の美しい吉野山は南門から空遠い天にそびえる宮殿の 水は豊かに永遠に湧くよ御井の清水に
ここに大和三山が詠み込まれていることが,藤原宮の位置を考える手がかりとされてきました。
下の写真は,香具山の麓,天香山神社へと続く道から見た耳成山の遠景です。Hasselbrad 503CXとPlanar 80mm f/2.8レンズで撮影しています。右手に見える耳成山とさらに遠い山々の稜線がきれいでした。