古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

不運なレンズ、エルマリートC40mm

写真は、ライカM9にエルマリートC40㎜ F2.8を付けたものである。このレンズは製造経緯を辿ると実に不運なレンズで、当初から評価が低く、その後に実用化されたズミクロンC40mm F2にその地位を奪われてしまった。個人的には実際にこのレンズで撮影してみて、シャープさと柔らかさを備えたいいレンズだと感じるが、当時はそうもいかなかったようである。以下は、エルマリートC40㎜レンズに関する「ライカ ポール・ヘンリー・ヴァン・ハスブルック(LEICA A History illustrating every Model and Accessory | Paul-Henry van Hasbroeck)」という書籍からの引用である。

「1974年、ライカCL用レンズとして、特別に設計された(レンズ名の後にcompactのCが付く)エルマリートC40㎜ F2.8は、4枚構成のレンズである。光学部分は、ウェッツラーで製造されたが、マウント部分は、製造コストをできる限り低く抑えるために、ルーマニアで製造された。設計に問題があり、絞りレバーが悪い位置についているため、絞りの調整によって、ファインダーを覆ってしまう。・・・中略・・・ルーマニアからの大量出荷には不確実な部分が多く、製造されたのは、たった1ロット(No.2512601から、No.2513000までの400本)とされている。このレンズは、主としてフランス市場向けに意図されたもので、ライカCLの価格を1000フラン以下の水準に抑える努力が成されていた。絞りレバーの位置が悪かったため、このレンズは市販されず、ほとんど(1975年から1976年に製造された)が、ライツ社員に販売された。実際にライカCL用に設計されたレンズとしては、ズミクロンC40mm F2、エルマーC90㎜ F4がある。」

 とある。製造コストを抑える関係からルーマニアでマウント部分を製造していたこと、絞りレバーの位置などが問題となったようである。絞りレバーの問題は、確かズミクロン35㎜ F2レンズ(6枚玉)の初期型でも同じような指摘があったと記憶する。ライカもこの時期はコストダウンに相当頭を悩ませていたようだ。

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ライカM9BP+エルマリートC 40mm f/2.8レンズ

leicaphilia.com

Leica ハードカバー – 1993/11/1 Paul-Henry van Hasbroeck (著), Rolf Wagner (編集)→こちらは英語版のようです。