古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

耳成山遠景

藤原京は、持統・文武・元明と三代の天皇の時代に使われた都で、かつては藤原宮跡がどこにあったかという長い論争がなされた時期があった。『萬葉集』に収録された「藤原御井歌(みいのうた)」によれば、藤原宮が耳成山・畝傍山・香具山の大和三山に囲まれ…

本薬師寺跡で南門跡が見つかる

本薬師寺跡に関する新しいニュースが今日飛び込んできた。現在の西ノ京にある薬師寺の東塔について、前回記事を書いたが,その前身にあたる藤原京時代の薬師寺であった本薬師寺跡で正門にあたる「南門」の跡が発見されたという。これまでの調査で金堂や東塔…

薬師寺東塔と解体修理について

本薬師寺跡の記事の関連で、今回は薬師寺東塔についてである。先日,国宝・薬師寺東塔(奈良時代)を覆っていた素屋根の撤去作業が進められ、解体修理を終えつつある薬師寺東塔の美しい姿が公開された。また一部覆われるところも出てくるようであるが、僕に…

興福寺北円堂の公開

今年5月に一般公開された興福寺北円堂が,再び10月17日(木)から国宝の仏像とともに一般公開が始まる。北円堂と同時に南円堂も公開されることは中々ない機会だと思う。北円堂は、興福寺創建者藤原不比等の一周忌にあたる養老5年(721)に、元明太上天皇と元…

本薬師寺跡と万葉歌碑

本薬師寺跡は、藤原京時代の薬師寺の境内の一部が残っている場所である。その後,平城京遷都とともに,現在の西ノ京の薬師寺のある場所へ移転した。現在の本薬師寺跡にはいくつかの本堂の礎石が残されているのみである。その並べられた礎石を見るたびに僕は…

興福寺東金堂より

昨年の10月に興福寺中金堂が再建され、実に興福寺にとっては、江戸時代以来の久々の中心的な建造物の復活であった。この度貫首が交代となり、この9月でその役目を終えられた多川俊映前貫首は、中金堂の落慶法要を経て、興福寺に「天平の風が吹く」という表現…

香具山と天香山神社

天香山神社の祭神は、櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)である。境内にある「朱桜(にわざくら)」という古名で知られる「波波架の木(ははかのき)」は、昔は占いに用いられたそうである。香具山の麓にあるこの神社の近くには、舒明天皇の大きな歌碑があ…

新薬師寺について

奈良時代、聖武天皇の后である光明皇后は春日山中に香山堂(こうぜんどう、または香山寺)という山林寺院を建てていたが、その後それを山麓の平地伽藍へと発展させ、七仏薬師像を本尊とする新薬師寺(香山薬師寺・香薬寺)を創建した。当初の新薬師寺は壮大…

東大寺境内のシダの葉

東大寺境内には、実に様々な植物が生息している。長い間保存されてきた地区だけに、樹齢何百年という木々も少なくない。僕がとても気になったのが、写真にあるシダの葉の群生。緑色の美しさも良かったのだが、モノクロームフィルムで撮るとさらに色情報が抜…

古都の名残を求めて

最近夢中になっているカメラは「ハッセルブラッド」。中古で手に入れたフィルムカメラはハッセルブラッド社の「503CX」。ブローニーフィルムをマガジンに詰め、奈良を中心に撮影をしている。古都藤原京、平城京の名残を求めて撮影をしていくつもりである。被…