古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

耳成山遠景

藤原京は、持統・文武・元明と三代の天皇の時代に使われた都で、かつては藤原宮跡がどこにあったかという長い論争がなされた時期があった。『萬葉集』に収録された「藤原御井歌(みいのうた)」によれば、藤原宮が耳成山・畝傍山・香具山の大和三山に囲まれていることがうかがえることから、おおよその位置は見当がつけられていた。実際に昭和九年から開始された発掘調査でこういった論争に決着がつけられた。この「藤原御井歌」とは以下のような歌である。この歌は藤原京を讃える歌として詠まれたもので作者は不詳。長歌と短歌とがあるが、ここでは長歌のみ取り上げる。

 萬葉集 巻一 五十二番の長歌

やすみしし  我ご大君(おおきみ) 高照らす 日の御子 荒栲(あらたへ)の 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始めたまひて 埴安(はにやす)の 堤の上に あり立たし 見(め)し給へば 大和の 青香具山は 日の経(たて)の 大き御門に 春山と 茂(し)みさび立てり 畝傍(うねび)の この瑞山(みづやま)は 日の緯(よこ)の 大き御門に 瑞山と 山さびいます 耳成(みみなし)の  青菅山(あをすがやま)は 背面(そとも)の 大き御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は 影面(かげとも)の 大き御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御影 天知るや 日の御蔭の 水こそば  とこしへにあらめ 御井(みゐ)の清水(ましみづ)

訳:あまねく天の下を支配されるわが大君、高く天上を照らしたまう日の神の皇子、われらの天皇が藤井が原のこの地に大宮をお造りになって、埴安の池の堤の上にしっかと出で立ってご覧になると、ここ大和の青々とした香具山は、東面(ひがしおもて)の大御門にいかにも春山らしく茂り立っている。畝傍のこの瑞々しい山は、西面の大御門にいかにも瑞山らしく鎮まり立っている。耳成の青菅茂る清々しい山は、北面の大御門にふさわしくも神さび立っている。名も妙なる吉野の山は、南面の大御門からはるか向こう、雲の彼方に連なっている。佳き山々に守られた、高く聳え立つ御殿、天いっぱいに広がり立つ御殿、この大宮の水こそは、とこしえに湧き立つことであろう。ああ御井の真清水は。

※『新版 万葉集一(現代語訳付き)』伊藤博訳注 角川ソフィア文庫より引用