古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

若草山の山焼きについて

Night of Fire by Hiro .M on 500px.com

 写真は、2015年1月に撮影した若草山の山焼きのシーンである。本日は2023年の山焼きの日である。あいにく天気は朝から薄っすらとした雪に覆われ、午後からも地面があまり乾いていない感じであったが、無事行われていたようである。若草山は普段は夜景の綺麗な場所で、全山芝生で覆われた円い丘が三つ重なった山である。展望台へは車で登ることができる。奈良公園へ出向いている鹿たちのほか、若草山の奥深くに住む鹿たちも多いようである。この若草山の山焼きの起源について、若草山焼きのサイトから引用してみた。

若草山三重目の頂上には、鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)という前方後円の巨大なお墓があります。その昔、このお墓から幽霊が出て人々を恐がらせるけれど山を焼くと幽霊が出なくなるらしい、また翌年1月頃までに山を焼かないと良くなければ、なにか望ましくないことが起こるらしい、などの迷信が長く続き、この山を通る人が勝手に火をつけるようになったといわれています。
これにより東大寺境内に火が迫る事件が再三起こり、1738年12月に、奈良奉行所は若草山に放火禁止の立て札を立てました。しかし、その後も誰ともわからないまま放火は続き、近隣の寺や神社へ火が燃え広がるなど危険が絶えなかったため、江戸時代末期頃には若草山に隣接する東大寺・興福寺と奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。
このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養のためでもあったといえます。

というものである。鎮魂のための行事というのが定説のようであるが、山焼きの歴史自体はまだ浅めである。平成21年(2009年)には、山焼きは1月第4土曜日に開催されるようになった。また、平成22年(2010年)には、平城遷都1300年を契機に花火が約600発打ち上げられた。写真の2015年の山焼きでも多くの花火が打ち上げられていた。この年の火のまわりはあまりよくなかった。露出はずっとシャッターを押しっ放しの状態で、カメラに布を時々被せながら撮影した。したがって露出時間が819秒となっている。絞り値はF11としていた。

撮影機材:Sony Alpha a7 + FE 70-200mm f/4 G OSS  (200mm ƒ/11 819s ISO 100)

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