古都の名残を求めて

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古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

法輪寺遠景と三重塔再建物語

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法輪寺遠景

法隆寺から法輪寺へ向かう際に必ずここを通る参道。法輪寺南門と三重塔を遠くから眺めることができるワンシーン。木々に三重塔の足元が少し隠れてしまうが、肉眼ではシルエットがとても美しく感じる場所である。

法輪寺は、三井の里にあり(「みいのさと」と呼び、聖徳太子が飛鳥の里より三つの井戸をこの地に移したところから起こったと伝えられている)、聖徳太子の子である山背大兄王が創建したとも伝えられている寺院である。飛鳥時代の仏像が多く残されており見応えがある。昭和50年(1975)再建の飛鳥様式の法輪寺三重塔については、以前の記事で紹介したが、昭和19年(1944)7月に落雷で焼失した。仏舎利や塔内の釈迦如来像、四天王像は救い出されたが、塔自体は全焼し、この時点で最古で最大であった三重塔は完全になくなってしまった。

全焼したことで国宝の指定を解除されたため、再建しようにも公的な援助が見込めなかった。寺院による募金活動が細々と続けられたが、なかなか思うように再建費用が集まらなかったようである。そんな時、作家の幸田文さんとの出会いが、法輪寺に転機をもたらした。父親は代表作『五重塔』で著名な小説家幸田露伴さんである。小説のモデルとなった、東京都台東区天王寺の五重塔焼失を目の当たりにしていた幸田文さんは、ある出版社を通して法輪寺の勧進の話を知り、他人事には思えなかったという。幸田文さんは、全国的な募金活動を推進し、住職と共に免税申請をかけ合ったりして、その知名度も活かしながら、支援者を増やし再建費用の確保に成功した。

実際の三重塔再建には、宮大工・西岡常一さん(法隆寺の大修理で知られる)ら西岡家が手がけ、飛鳥時代の工法を採用して落雷から31年の年月を経てようやく再建された。現在拝むことのできる法輪寺三重塔は、様々な人々が関わりその努力の結集により再建に至った。そういう背景を知るとこの三重塔には対しては、一際愛着が持てるのである。

撮影機材は、LeicaMMonochrom(Typ246)+Leitz Elmar 35mm f/3.5である。

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数年前に亡くなられた写真家の鬼海弘雄さんが、生前に浅草でのポートレート撮影の合間に読んでいたと聞いた短編小説集。それがこの幸田文さんの『台所のおと』という小説であった。僕は最近読み始めた。病で寝たきりの生活となった夫が寝ながらにして台所に立つ妻の庖丁の「おと」を通して、妻の心境の変化を感じていく。全10編の短編集。