古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

写真家鬼海弘雄さんを偲ぶ

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鬼海弘雄さんのエッセイ集と僕のハッセルブッラドカメラ(500C/M)

昨年(2020年)10月19日未明、写真家の鬼海弘雄さんが他界された。鬼海弘雄さんについては、東京・浅草寺で撮られた独特なポートレイトが有名である。僕が鬼海さんに興味を持ったのは、ハッセルブラッドで写真を撮り始めるようになってからであった。それまでは、あのポートレイトの良さがよく分からなかったが、6×6で写真を撮り、現像して手焼きをしてみると、その素晴らしい構図や、なぜ一般のおじいさんやおばあさんなどがテーマになっているかが少し分かるようになってきた。また、最近薬師寺の境内で撮影していて思ったのだが、鬼海さんがいつも背景にしている浅草寺の朱色の門は、モノクロームで実によく映えるという点であった。ライカMモノクロームで撮影していると朱色の門はモノクロームでは程よいグレーのトーンとなりムラがないことが分かる。そのことで、前に置かれた人物はくっきりと浮かび上がってくる。実にうまく考えられた背景だと思う。もちろん朱色の門だけをとってもつまらない。しかし前に人物が立つことで、ポートレイトとして大変効果的になると感じる。

2019年の秋に、入江泰吉記念奈良市写真美術館にて、「鬼海弘雄 PERSONA 最終章」展が開催され、その中で、写真家の百々俊二と鬼海弘雄さんの対談が行われた。僕はその時興味があって、この対談を聞きに行った。対談内容は大変面白いものだったが、鬼海さんの体調が対談中ずっと気になっていた。当時、癌治療で療養中ということだったが、対談が終わり、最後に写真集など書籍を買う際に、購入者全員にサインをされていた。結構人が並んでいて、皆サインをもらい嬉しそうにされていた。僕も本音を言えば写真集を購入して、サインをもらいたかったが、憔悴しきっていた鬼海さんが目に入り、エッセイ集は買ったが、サインをもらうのは止めた。この時、随分と体調が悪かったのだと思う。しかし、写真家の思いと来館者への配慮もあってか無理をされていたに違いない。僕はその時気の毒でならなかった。

対談の中で印象的だったのは、このポートレートシリーズが全てハッセルブラッドと80ミリの標準レンズで撮影されているという点だった。鬼海さんの恩師である福田(定良)先生に当時高額だったハッセルブラッドと標準レンズを買ってもらい、以来ずっとそのセットで写真を撮り続けてきたという。カメラとレンズを変えてしまえば、作風も変わる。それゆえ同じカメラと同じレンズで撮り続ける。それ以上に、鬼海さんにとっては、このカメラとレンズのセットは、恩師への謝意や想いがあって変えられなかったのではと感じる。現にインドの撮影には、壊れたりなくしたりということを避けて持っていかなかったという。普通ではなかなか買えないこのセットを恩師に買ってもらった。ずっと使い続けようという鬼海さんの強い意思がそこにあると感じた。

この展示で初めて鬼海さんが手焼きされた本物の浅草ポートレートシリーズを観た。正直写真や本で見るのとは全然印象が違っていた。大全紙?に真四角に焼かれた作品群は、圧倒的な迫力があった。観に行って良かったと思うし、まさかこの時が鬼海さんを見る最後の機会になるとは思っていなかった。鬼海さんが保護ネコの「ミミ」ちゃんを本当に大切にしていたという話も彼の作品とその人間性を知る上でいいエピソードであると思う。

以下、参考記事である。朝山実さんのこのレポートは大変面白かった。

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