古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

薬師寺東塔の存在感

 

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存在感のある薬師寺東塔

薬師寺という寺院は、もともと藤原京にあった官立の寺院である。天武天皇が建立を命じた寺院には、もう一つ大官大寺(平城京では大安寺)がある。文献資料によれば、680年に始まった建設事業は、天武天皇の死去後は持統天皇が引き継ぎ、698年に完成したとされる。710年の平城京遷都で藤原京の様々な施設も移ることになり、薬師寺も718年に伽藍を平城京に移したと記録され、藤原京の薬師寺は「本薬師寺(もとやくしじ)」と呼ばれるようになった。現在も橿原市に礎石など本薬師寺の跡が残っている。東塔は、移転当時から寺院にある唯一の建物とされる。

最近の研究では、現存する東塔の柱の配置や間隔は本薬師寺跡で出土した東塔跡とよく似ていて、柱を同じ配置・間隔にする建築は異例であることを指摘する建築の専門家もいる。東塔には横方向の木材を2本並べて柱に通す「二重頭貫(にじゅうかしらぬき)」という中国の唐でみられた新しい工法が採用され、国内の古い建築にはみられないものらしい。薬師寺は本薬師寺の大まかな形は継承しつつも、中国の最新の工法を取り入れるなど建設当時の様々な新しい技術を導入したのではないかとされている。

現在薬師寺を訪れると、東塔内に入ることはできないものの、特別開扉により初層(1階部分)の扉が開けられ、内部を見ることができる。まだ仏像を納めていないため、中心に立つ直径約90センチの心柱(しんばしら)が見られる。東塔を支える基壇は、創建当初から残る基壇を覆うように新しい基壇を作ったが、心柱だけは宗教性を重んじ、創建当初の礎石にのせているということである。

1300年の歴史、あるいはもっと以前からの時間の長さを考えると、薬師寺東塔の存在感は圧倒的なものがあると感じる。幾多の災害を乗り越えて、現在まで唯一薬師寺で残っているという事実は素晴らしい。これから先さらに1000年、2000年とリペアを繰り返しながら東塔がこの地に建ち続けることを願ってやまない。

最後に2012年に東塔の解体修理が公開されたときに、僕が東塔の上層階から撮影した薬師寺金堂の屋根部分をの写真を紹介する。屋根に鳩が二羽止まっているのが見える。

Two pigeons by Hiro .M on 500px.com
この写真は2012年に500pxに投稿したものである。撮影機材はNikon D700+Nikon AF-S Nikkor 70-200mm f/4Gである。