古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

夕刻の興福寺北円堂

夕刻の興福寺北円堂

正面奥には興福寺北円堂が見える。付近は急速に真っ黒になっていてLMMのISO感度の高さに救われた写真である。北円堂も毎年期間限定で運慶作の有名な彫刻である無著像・世親像が公開されている。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Heliar vintage line 50mm(M) f/3.5

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夕刻の興福寺三重塔

夕刻の興福寺三重塔

興福寺の広い境内にあって、少し外れにあり、場所の分かりにくいところに聳え立っているのが、写真の興福寺三重塔である。北円堂と共に興福寺で最古の建造物の一つである。平安時代の建築様式を今に伝え、細身のシルエットも大変美しいものがある。

毎年7月7日の弁才天供のみ開帳され、僕も一度見に行ったことがある。興福寺といえばどうしても五重塔が印象深いが、歴史の古さからいえば圧倒的にこの三重塔が勝る。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Heliar vintage line 50mm(M) f/3.5

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興福寺東金堂の美しい屋根の梁

興福寺東金堂の屋根

写真は興福寺東金堂東側の屋根を見上げたシーンである。細かく張り巡らされた梁と肘木などの組み合わせが大変美しい。ライカのズマロン35ミリf/3.5レンズは逆光に弱いレンズであるが、レタッチすることで光を弱めに抑えることができた。幾何学的に配置された木材の美しさを感じる建造物である。現存しない西金堂も同じような造りであったのであろうか。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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閉門後の興福寺東金堂正面にて

閉門後の興福寺東金堂の正面

写真は夕刻の閉門後の興福寺東金堂である。正面の大きな木扉に嵌め込まれた釘隠しの整然とした並びが美しい。手前の二本の木柱についても、経年変化による木目の意匠に個性があり美しさを感じる。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Heliar vintage line 50mm(M) f/3.5

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興福寺東金堂の白壁と木柱

興福寺東金堂の白壁

興福寺の東金堂は726年に、五重塔は730年の建立とされている。しかし、この寺院は度々火災や天災に遭い、現在の東金堂は1415年、五重塔は以前の記事で紹介したように1426年に再建となっている。写真は東金堂の白壁の一部である。巨大な木柱は経年変化により、風格ある佇まいとなっている。東金堂の柱間は中央が広く、正面の一間が吹き放しで唐招提寺の金堂と共通点がある。二枚目の写真が東金堂正面の木柱である。

一枚目の写真:撮影機材:LMM(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

二枚目の写真:撮影機材:Sigma DP2 Merrill

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興福寺南円堂にて

興福寺南円堂にて

興福寺南円堂は独特な形をした建造物である。興福寺のサイトにある説明によれば、813年に藤原冬嗣が父の内麻呂追善のために建立したと書かれている。現在の建造物は江戸時代のもので、創建以来4度目のものだそうである。手前に見える突き出た部分は拝所となている。内陣には本尊の不空羂索観音菩薩坐像を中心に、四天王立像、法相六祖坐像が安置されている。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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美しいシルエットの興福寺五重塔

興福寺五重塔を望む

興福寺五重塔は、興福寺のサイトからの引用であるが、以下のような説明がなされている。

興福寺の五重塔は、天平2年(730)興福寺の創建者である藤原不比等の娘光明皇后の発願で建立されました。その後5回の焼失・再建を経て、現在の塔は応永33年(1426)頃に再建されました。日本で2番目に高い塔で、古都奈良を象徴する塔です。

創建当初の高さは約45mであり、日本全国で巨大な木造の五重塔を比較してみると、現在に残る京都東寺の五重塔が高さ54.8mで最も大きく、興福寺の五重塔が50.1m、京都法観寺の五重塔(八坂の塔)が49mとなっている。その中にあって、この興福寺五重塔のシルエットは際立って美しいと感じる。経年変化の雰囲気も重厚感を増し、素晴らしい建造物と感じる。

hasselphoto201909.hatenablog.jp

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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修理が延期となった興福寺五重塔

修理が延期となった興福寺五重塔

2023年1月から修理が予定されていた興福寺五重塔。実はまだ修理が始まっていなかった。興福寺のサイトで調べてみると、以下のような説明が書かれてあった。このサイトからの引用文である。

~五重塔修理工事に関するお知らせ~
五重塔を覆う素屋根工事の着工を令和5(2023)年1月から予定していましたが、奈良県文化財保存事務所より昨今の資材高騰の影響、ならびに本工事に際して調査すべき内容の追加等の事情につき、明年1月からの着工が延期されることとなりました。具体的な着工時期は未定です。詳細は情報が入り次第、お知らせすることといたします。

一旦は囲いまでしてあった五重塔の初層部分もいつのまにか外されてもとに戻っていた。写真の左手には、何か測量しているような様子が伺える。まだまだしっかりと眺めることのできる巨大な興福寺五重塔であった。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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久々に興福寺へ

興福寺中金堂にて

久々に興福寺へ訪れた。随分とここへは行ってなかったと思う。写真中央の新築同様の中金堂や手前の東金堂などこの寺院も見どころは多い。

有名な三面六臂の阿修羅像は、この寺院の国宝館で見ることができる。よく他県へ展示会のため出張(笑)に行かれている興福寺阿修羅像。この仏像は『八部衆』シリーズの一つである。像高 153.4cmで、釈迦を守護する神とされている。

その他、国宝館で僕が素晴らしいと感じる仏像が、もと山田寺の銅造仏頭である。685年に、天武天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂のために造った飛鳥の山田寺本尊像の頭部である。この仏頭は室町時代に被災し、頭部だけが残り、今の興福寺東金堂の本尊台座に納められ、昭和12年(1937)に発見されたという。この経緯を見る限り、数奇な運命を辿り奇跡的に美しい形で保管された仏様だと思う。白鳳期の作品とはっきり分かっていて、表情は明らかに天平期の仏像とは違い、瑞々しく凛々しい顔をされている。顔には被災した焼け跡が見られ傷ましい。参考記事は以下の興福寺のサイトである。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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