古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

郡山城跡の石垣(その1)

郡山城跡の石垣(その1)

郡山城跡には、今でも昔ながらの城の石垣が残っている。現在は残念ながら天守閣は残っていないが、かつてこの地には壮大な城が聳え立っていたことが城跡からも想像ができる。ここは梅とともに桜の名所でもある。以下、郡山城跡に関する大和郡山市のサイトからの記述である。

郡山城は筒井順慶の築城(1580年)に始まる大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。
城郭は徐々に整備されましたが、早くも豊臣秀長の時代にほぼ完成し、増田長盛(ましたながもり)の外堀普請(ふしん)によって城郭の規模が定まったとされています。すなわち、郡山城は内堀、中堀、外堀という三重の堀に囲まれた惣堀(そうぼり)の構えを持つものであり、この中に城郭の中心部や武家地、城下町が配置されたのでした。

とある。明智光秀による本能寺の変後すぐには誰につくという態度を示さず、援軍を請うていた光秀の要請にも応じず、中立のような立場を取り、光秀に味方するというような素振りを微塵も見せなかった筒井順慶。松永久秀とも大和国をめぐって争った、なかなか有能な戦国大名の一人であった。光秀がすぐに秀吉に倒されたのも、親戚関係にあった細川藤孝や援軍をよこしてくれると期待した順慶の援護がなかったからともいえる。その順慶の築城した城の石垣には歴史の名残を感じる。

www.city.yamatokoriyama.lg.jp

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Leitz Xenon 50mm f/1.5

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