古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

宅飲み(その3)

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春雨とパクチーのサラダと茹で鶏で宅飲み

今週のお題は「やる気が出ない」。この頃は外へ行くこともままならず、好きな写真撮影も控えていて気持ちが前向きにはならない、やる気が出ないご時世である。しかし、かつて奈良時代もそうであったように、疫病の流行時は、外出を控え、家族でも大皿で食事をつつき合うのはやめて、小皿に分けて食べていたということが、考古学的な発掘で分かっている。先人たちも、ワクチンなどがない中で色々と頭を使って感染対策を実施してきたのだと思う。そして今の時代がある。

家で過ごす時間が長くなる分、おうちで楽しめる宅飲みがいいと思っている。今回もお気に入りの日本酒で居酒屋風に飲んだ。近鉄筒井駅すぐにある川合酒店さんの日本酒『順慶』。奈良桜井の今西酒蔵で作ってもらっているというオリジナルの地酒だそうである。もちろんここでしか手に入らない。『順慶』とは、大和の戦国大名であった筒井順慶のこと。あては春雨とパクチーのサラダと茹で鶏。グラスと酒枡には「鳥獣戯画」が描かれていて気に入っている。

筒井順慶といえば、昨年話題となった明智光秀を主人公とした大河ドラマ『麒麟がくる』で俳優の駿河太郎さんが筒井順慶役を演じていた。松永久秀を演じる吉田鋼太郎さんとの共演シーンが僕は印象に残っている。大和の支配をめぐる駆け引きの面白いシーンであった。さらに、藤沢周平の小説『逆軍の旗』で描かれる筒井順慶はもっと印象的である。信長を本能寺の変で討った光秀に対し、旧友の細川藤孝(のちの幽斎)はすぐさま信長に弔意を示すため出家した。また家督を息子の忠興に譲って隠居するという形を取った。つまり光秀に組しないという暗黙の宣言であった。残るは筒井順慶。光秀は最後まで順慶の援軍に期待をしていた。しかし、目の前には、信長の訃報を聞いた羽柴秀吉軍が、毛利方と和睦を結んで急遽引き返しすでにそこまで迫っている。しかし、順慶は最後まで動かない。光秀に対して迷っているように見せつつも返事をせず全く動かなかった。このあたりの順慶や藤孝の心の機微が読んでいて面白い。

ちなみに筒井町や筒井駅の名称の由来は、筒井順慶からではなさそうである。以下は~tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」~の記事からの引用である。参考になった。

よく「筒井順慶(筒井氏)がいたから、筒井という地名ができたのですか?」と聞かれるが、その逆で《「筒井」は室町期からみえる地名で(中略)「ツツ」は井戸の形態をいったもの。一般的には姓氏よりも地名が先に生まれたと判断される》(「筒井」池田末則編『奈良の地名由来辞典』)ということだ。

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