古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

興福寺東金堂の白壁

興福寺東金堂の白壁

経年変化の恩恵というか、興福寺東金堂の側面の白壁は、いつ見てもその大きさと美しさに圧倒される。真っすぐに高く伸びた、まるで林の木々のような支柱となっている大きな木柱はすらっと伸びていて形も良い。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Carl Zeiss Jena Tessar 50mm f/2.8(旧RFコンタックス)

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興福寺東金堂の基壇

興福寺東金堂の基壇

興福寺東金堂の基壇は結構高さがある。少しかがんで撮ったのがこの写真である。石畳の幾何学的な意匠が美しく、先人たちの知恵と工夫の跡が垣間見える。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Carl Zeiss Jena Tessar 50mm f/2.8(旧RFコンタックスマウント)

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興福寺東金堂の木扉と釘隠し

興福寺東金堂の木扉と釘隠し

午後の太陽光が少しずつ強めになってきていると感じる昨今。写真は興福寺東金堂の正面の大きな木扉の釘隠しである。デザインは法隆寺東院夢殿のものと類似している。釘隠しにも寺院によってスタイルがあり、ここで使われているものは青銅であるが、例えば、唐招提寺金堂の釘隠しは木造である。その辺りの細かなスタイルの違いも興味深いものである。レンズはLMMに旧RFコンタックスマウントの沈胴型テッサ―50ミリf/2.8を使っているが、木目の質感は何となくではあるが柔らかさが感じられ、ノンコーティングの恩恵かもしれない。テッサ―50ミリf/3.5はもう少しシャープな写りの印象を持っているが、比較してみると面白いかもしれない。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Carl Zeiss Jena Tessar 50mm f/2.8(旧コンタックスマウント)

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興福寺東金堂の木柱と礎石

興福寺東金堂の木柱

興福寺東金堂の何本もある木柱は、その経年変化に味わいのあるものが多い。写真の木柱も礎石とともに撮影したものであるが、木目と色の落ちた白色部分もコントラストが印象的であった。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Carl Zeiss Jena Tessar 50mm f/2.8(旧コンタックスマウント)

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興福寺東金堂の風鐸

写真は興福寺東金堂の風鐸と背景には夕刻の青空を広めに入れてみた。風鐸とは、「寺の堂や塔の、軒の四隅につり下げて飾りとする、青銅製で鐘形をした鈴。」のこととネットで検索すると出てくる。以下、株式会社滝本仏光堂のサイトより引用である。

風鐸は、強い風が吹くとカランカランと鈍い音がします。昔、強い風は流行病や悪い神をも運んでくると考えられていたことから、邪気除けの意味でつけられており、この音が聞こえる範囲は聖域であるので災いが起こらないといわれている。風鐸はもともと、中国で唐の時代に竹林の風鐸を吊り下げて物事の吉兆を占う「占風鐸」というものがあり、それが日本に仏教建築文化とともに伝来したと考えられています。平安時代後期には貴族の屋敷でも軒先に魔除けとして風鐸を吊るしたそうで、やがて気温湿度が上がり菌が繁殖して病が広がりやすい暑くなる時期の魔除け道具、暑気払いの器具「風鈴」として庶民にも定着していきました。

僕は、この説明の中の魔除けとその音が聞こえる範囲が聖域という考え方に興味を持った。さらに風鈴の原型というのも頷けるところである。以前、奈良国立博物館で展示のあった『大安寺のすべて』では、現存していない大安寺西塔の巨大な風鐸が発掘され展示されていた。奈良時代、先人たちが音によって魔除けをしたという発想には納得できる。音は目に見えず、いつまでの響き渡ることからその効果が大きいと考えたのだと思えてくる。科学の発達していない時代だからこその想像力のなせる発想と思えてくる。

興福寺東金堂の風鐸

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Carl Zeiss Jena Tessar 50mm f/2.8(C mount)

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興福寺東金堂の屋根の意匠

興福寺東金堂の屋根の意匠

再び興福寺の東金堂にて撮影。写真は太陽光が屋根の裏側に差し込んだところを撮影した。格子状の梁や幾何学的な意匠がとても美しいと思う。今回の撮影では、レンズはContaxのテッサ―50ミリf/2.8を使ってみた。戦前のレンズだけに逆光には弱いが、その柔らかい描写がカール・ツアイスのレンズ群とは、少し違うように感じた。カプラーを使って、ライカMモノクロームで撮影した。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Carl Zeiss Jena Tessar 50mm f/2.8

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興福寺から飛火野への参道にて

興福寺から飛火野への参道にて

一の鳥居を過ぎて飛火野へと向かう参道付近のワンシーン。奥には人に近寄っている鹿たちが写っていて、ここでは鹿たちをよく見かける。彼らの一日の行動範囲は広く、北は東大寺転害門辺りから、正倉院付近、さらに東へは二月堂や三月堂、その奥の若草山、西へは奈良公園から興福寺境内辺りまで散在している。群れで動いていると思われるが、牡鹿などは単独の場合もある。

以前は興福寺五重塔の土壁付近に多く鹿たちがいて観光客と戯れていたが、中金堂が再建され、周囲に柵が設置されるなど境内の工事が進み、ゆったりと鹿たちが寛げる雰囲気ではなくなったせいかあまり見かけなくなっている。僕が好きだった垂れ耳の牡鹿も以前はそこでよく見かけたが、高齢だったこともあり最近ではすっかり見なくなってしまった。寿命を迎えたのかもしれない。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Heliar vintage line 50mm(M) f/3.5

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飛火野の鹿たち(その2)

飛火野の鹿たち(その2)

奈良公園の鹿たちは、1000年以上前に祖先から分岐し、独自の遺伝子型を保持しているという。以下に記事のリンクを載せた福島大学のこの研究は大変興味深い。奈良公園~飛火野~若草山と広域にわたって生息する奈良の鹿たち。彼らは臆することなく人間に近寄り、鹿せんべいを待っている。面白いことに鹿せんべいを買う行為をしっかり見ていて、買った瞬間からその人たちに近寄っていく。以下のリンクの記事の引用から、『狩猟や開拓によって多くのシカ集団が消滅する中で、奈良のシカだけが春日大社の「神の使い」「神鹿(しんろく)」として春日大社周辺で人間の手によって手厚く保護され、その結果、他のシカ集団と交流がないまま独自の遺伝子型を持つ系統として維持されてきたとみている。』と考察している。確かに奈良公園の鹿たちは、交通事故を除けば、外敵がいるわけでなく、奈良の鹿愛護会をはじめ、人間たちに手厚く保護されている。彼らは独自の発達を遂げた鹿というこの記事には大変納得できるものがある。

scienceportal.jst.go.jp

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Heliar vintage line 50mm(M) f/3.5

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飛火野の鹿たち(その1)

飛火野の鹿たち

興福寺境内から東へ向かって歩くと、飛火野という広い場所へ出る。写真はその飛火野付近で見かけた鹿たちである。ゆったりとリラックスしていたワンシーンである。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Heliar vintage line 50mm(M) f/3.5

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夕刻の興福寺五重塔

夕刻の興福寺五重塔

曇り空に浮かぶ興福寺五重塔のシルエット。巨大な塔だけあって、その構造美は他の五重塔の群を抜いている。時間帯は夕刻、今にも雨が降りそうな日の撮影であった。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

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