古都の名残を求めて

古都の名残を求めて

古都奈良の雰囲気の残る場所をフィルムやデジタルで記録したモノクローム写真のブログです。

箸墓古墳と耳成山

箸墓古墳と耳成山

箸墓古墳を一周して、古墳の北側からJR巻向駅へと戻る行程で、写真のように一瞬だけ耳成山が遠景に望めるシーンが現れる。全長約280メートルもある箸中古墳は横長に位置しているので、このシーンはわずかな立ち位置でしか見ることができない。渋谷向山古墳近くで見ることのできた大和三山と箸墓古墳を見渡せる観光スポットをグッと近づけてみた感じである。さすがに畝傍山は奥に隠れて見えないが、古都奈良の先人たちが、神聖視されていた大和三山の位置を考えつつ、様々なプランを考えた末に、箸墓古墳をこの位置にしたのだろうと、ここで写真を撮りながら僕が感じたことであった。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

hasselphoto201909.hatenablog.jp

人気ブログランキング

箸墓古墳と卑弥呼と倭迹々日百襲姫命

箸墓古墳の北側より撮影

箸墓古墳の北側に周って撮影したのが上の写真である。箸墓古墳は卑弥呼の墓であるという仮説が最近はよく言われるようになったが、確証があるわけではない。治定されている倭迹々日百襲姫命が、巫女的な存在であり、時期的にも箸墓古墳の築造時期と重なるので、卑弥呼と比定されているだけである。

JR巻向駅周辺には纒向遺跡があり、この遺跡の南側部分に位置する扇状地上に形成された全長約280mの前方後円墳が箸墓古墳である。この古墳からの出土品には、布留1式期(4世紀初め)と現存最古の木製輪鐙(わあぶみ)をはじめとして、土器や木製品、墳丘上において宮内庁によって採集された遺物などがある。纒向遺跡の発掘や研究が進み、現在は桜井市のこの辺りが、邪馬台国の候補地となっている。邪馬台国の女王は卑弥呼であり、鬼道政治を行っていたとされる。

不思議なのは、卑弥呼の名は魏志倭人伝(『魏書』烏丸鮮卑東夷伝倭人条)に見られるものの、古事記や日本書紀には見られない。卑弥呼とは果たして実在の人物なのであろうか。倭迹々日百襲姫命=卑弥呼と決定づけるような今後の考古学的な研究成果に期待したい。以下参考記事のリンクを載せておく。

www.makimukugaku.jp

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

人気ブログランキング

箸墓古墳と箸中大池

箸墓古墳と箸中大池

箸中古墳群の一つ、箸墓古墳で撮影した写真。古来からこの古墳には大きな周濠があったわけではなく、いつの頃からか北側に大きな溜池ができた。これを箸中大池と呼んでいる。写真は農業用水に使った後なのか、水門が開かれていて水が干上がってしまっていた。箸中古墳は、古墳時代の最前期に築造されたとされ、最新のレーザー測量によれば、大変美しい形をした前方後円墳であることが分かっている。時代は3世紀前半~中期とされ、卑弥呼の時代に符合するという説に一石を投じている。写真では、前方部から後円部へのくびれの部分がはっきりと分かる。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

人気ブログランキング

2023年にやりたいこと(写真編)

はてなブログのもう一つの特別お題「2023年にやりたいこと」と題して、今回はこの一年の目標をいくつか書いてみた。

①Canonレンジファインダーカメラを積極的に使ってみる

Canonレンジファインダーカメラに関する洋書とBlack Canon7

先日、Canonレンジファインダーカメラに関する洋書を購入した。タイトルは『Canon Rangefinder Cameras 1933-1968』で著者はPeter Dechert氏である。目次はPARTⅠ~PARTⅤまであり、最初期の「The Kwanon Camera」~「The Canon 7sZ」までのレンジファインダーカメラの紹介と後期のCanonレンズの紹介などが最後にあった。僕が所有しているBlack Canon7についてもこの中で紹介されていた。Canonのレンジファインダーカメラについて体系的にまとめてあり、とても充実した書籍である。

Canonのレンジファインダーカメラは、実際に使ってみるとライカのそれに負けず劣らず性能も良く、使い勝手が良い。1950年代のライカM3の登場以後もしばらくはレンジファインダーカメラの性能を追究し、いいカメラを発売し続けていた。ニコンがこの分野から早々と撤退を決めたのとは裏腹に、Canonは高品質かつ比較的廉価なレンジファインダーカメラをつくり続けていたと感じる。もちろん付随するレンズの写りも曇りやすい欠点があるものの、その写りは素晴らしい。

『Canon Rangefinder Cameras 1933-1968』より

二枚目の写真はこの本の中で紹介されているCanon7についての記事である。ブラックペイントのCanon7とともに写っているのは、このカメラと同時に発売されたCanon 50mm f/0.95という当時としては驚異的なハイ・スピードレンズである。この当時のCanonは積極的に明るいレンズの製作に挑んでいた印象がある。

②年間でフィルムの撮影を50本撮る

Canon7をはじめとして、所有しているライツミノルタCLなど露出計を組み込んだカメラで今年は積極的にフィルム撮影をしたい。相変わらず奈良の風景が中心となると思うが、月々4~5本は撮る計算になる。真夏は避け、太陽光が弱い時期にできるだけ撮るように心掛ける。

③500pxでさらに自分の写真を買ってもらえるように努力する

昨年度、特に興福寺の五重塔の写真が500px上で売れた。この五重塔はそろそろ修理に入る予定らしいので、修理に入ってしまうと長らく塔全体を見ることができなくなり、さらにストックフォトとして重宝されるかもしれない。自分としては、もっとライカで撮影したモノクローム写真が売れてほしい。まだまだ力及ばずでそこまでには至っていない。今年の目標は一枚でも多くライカで撮影したモノクローム写真を買ってもらうこととする。

hasselphoto201909.hatenablog.jp

④Leica M6 2022(復刻版)が欲しい

昨年末の11月に発売されたLeica M6 2022(復刻版)。価格はライカらしい設定であるが、最新の露出計を組み込んだこのカメラが今一番欲しいと思っている。正直Canon7やライツミノルタCLの露出計は、年代物のためやや不正確と感じる。思ったようなネガにはなっていない。しかし、実際購入となると所有のほとんどのレンズやカメラを手放すことになると思う。その駆け引きが悩ましい。この際、一気にレンズやカメラをシンプルに統一してしまってもいいかもしれない。この一年思案しようと思う。特に写真をフィルムで撮るとき、多種類のカメラは必要がない。記録するにも、記憶を辿るにも同じカメラ同じレンズが好ましいと最近感じる。

hasselphoto201909.hatenablog.jp

以上が、今年の僕の目標である。果たしてどこまで実行できるか、時間との闘いである。④は実現が難しいと思うが、とにかく頑張ってみようと思う。

人気ブログランキング

山の辺の道から箸中古墳群へ

箸墓古墳と二上山

山の辺の道からJR巻向駅へは歩いて約20分くらいかかる。その巻向駅からさらに約10分歩くと箸中古墳群の一つ箸墓古墳に着くことができる。一枚目の写真は箸墓古墳の西側にあたり、田園風景が広がる。遠景には二上山を望むことができる。

倭迹迹日百襲姫命の碑と拝所

二枚目の写真は、倭迹々日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)命墓と陵墓指定されている箸墓古墳の拝所である。長年の研究の結果、JR巻向駅周辺に広がる纒向遺跡は初期ヤマト政権発祥の地、あるいは邪馬台国の候補地として知られるようになった。考古学・古代史研究者の笠井新也氏の研究では、倭迹々日百襲姫命と卑弥呼は同一人物であるから、箸墓古墳は、卑弥呼の墓であると『考古学雑誌』などで論じている(『大和の古墳Ⅰ(新近畿日本叢書 大和の考古学 第二巻)を参照)。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

人気ブログランキング

今年はこのレンズを使いたい(5選)!

明けましておめでとうございます!本年もこのブログをよろしくお願い致します。

以前、はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」という企画があり、それに便乗して僕が所有しているライカのレンズ、ノンライツのレンズについて好みのものを紹介した。今回は今年の抱負を込めて、前回の記事と重複するレンズもありつつ、今年使いたいと思っているレンズを紹介する。デジタルではもちろんだが、今年はできればフィルムで年間50本撮りたいと思っている。これが僕の目標である。

Canon7 BP+Canon 50mm f/1.8 Ⅱレンズとフード

①Canon 50mm f/1.8 Ⅱ

石上神宮の禁足地

このレンズは1956年ごろにつくられたものである。初期型はライカのズマリットやクセノンレンズと似たような鏡胴をもったシルバークロームのレンズで和製ズミクロンと呼ばれるに相応しい写りのレンズである。このレンズ用の角型フードを付けると精悍なスタイルとなる。バージョンⅡのこのレンズも初期型と同じく良い写りだと思う。キャノンのレンジファインダー用レンズは、廉価であるしその写りは侮れないと感じる。

②Leizt Summilux 35mm f/1.4(2nd)

櫛山古墳の墳丘と溜池

今回もこのレンズを上位にランクインさせた。開放の滲んだボケ味も独特であるが、f/4以降に絞った時の写りが特にいいと感じる。周辺光量の落ち具合も綺麗であるし、上の写真でも遠景にその絞った時の良さが発揮されていると思う。

③Leitz Elmarit-C 40mm f/2.8

雨の法隆寺東院伽藍

Leitz Minolta CL または Leica CL販売時のレンズとして製造され、当初このレンズが、カメラに付随して一般販売されるはずだったが、ライカとミノルタの販売戦略の中でズミクロン-C 40mm f/2レンズへと変更されてしまったレンズ。当初400本のみつくられて、ライカの社員向けに販売されたということであるが、実は500本つくられていたことが、レンズのシリアルナンバーから判明している。

④Leitz Summaron 35mm f/3.5

櫛山古墳の前方部

ディテールまで意外としっかりと描写する35ミリ三半ズマロン。僕の所有するズマロンはマウント部分を改造することなく、M2の35ミリフレームに対応できるM型後期のモデルである。モノクロームの描写では、写真のような古墳の墳丘の落ち葉の描写は細やかで美しいと感じる。現代レンズに引けを取らない描写力を備えたレンズであると思う。

⑤NOKTON classic 40mm f/1.4

法隆寺中門付近の空間

COSINAのレンズは、ライカのレンズと同じく写りがとても良いと感じる。最近では40mmの画角が自分ではお気に入りで、Leitz Elmarit-C 40mm f/2.8同様、よく使うレンズの一つになっている。昨年、このレンズとSummicron 35mm f/2レンズの七枚玉のレンズ構成を比較した記事を書いた。写りは素晴らしく、フィルムで撮ったネガを現像してみたら大変シャープであった。

hasselphoto201909.hatenablog.jp

hasselphoto201909.hatenablog.jp

人気ブログランキング

渋谷向山古墳から桧原神社へ

桧原神社の三ツ鳥居

山の辺の道の続編。渋谷向山古墳から桧原神社へは2.5kmの距離があり、45分かかる道のりである。山の辺の道の中にあっては、最も長い道のりであり、途中で一度迷いそうになるやや複雑な行程であった。標識はあるものの、最も分かりにくいルートである。事前にしっかり調べておいた方がいいと感じる。

長い道のりを経て桧原神社に到着すると、写真のような神秘的な珍しい形の「三ツ鳥居」を見ることができる。三ツ鳥居は明神(みょうじん)型の鳥居を3つ組み合わせた形であり、別名「三輪鳥居」ともいわれ、大神神社にも三ツ鳥居が存在する。桧原神社は伊勢神宮と同じ天照大神を祭神としていて、「元伊勢」とも呼ばれている。

桧原神社から二上山を望む

桧原神社の西側にある注連縄が掛かった鳥居に立つと、写真のように真正面に二上山を望むことができる。ここは有名な写真スポットであり、よく写真に撮られている。真っすぐ進んでいくと、JR巻向駅方面へ向かうことができる。今年後半は山の辺の道のうち、天理から桜井への南ルートを主に紹介した。桧原神社からは大神神社まで25分という距離となり、残りあともう少しの距離である。大神神社からJR三輪駅へはすぐである。

いよいよ大晦日。今年も多くの方にこのブログを見ていただきありがとうございました。引き続き新年もよろしくお願い致します。では、よいお年を!

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summilux 35mm f/1.4(2nd)

人気ブログランキング

「わたしの2022年(山の辺の道と柳本古墳群)」 

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」と題して、はてなブログからお題が出ていた。今年の僕の総括として「わたしの2022年」だけを取り出し、『山の辺の道と柳本古墳群』と題して記事を書いてみた。

山の辺の道沿いには、いくつかの古墳群が存在する。この地域は大和の豪族や大王家の陵墓が多く存在するので、ヤマト政権の中心地と見る考え方が現在では主流である。その中にあって、この一年における山の辺の道散策の中で僕が興味を持ったのが、「柳本古墳群」である。

この古墳群に興味を持つきっかけとなったのが、「黒塚古墳」である。この古墳は未盗掘のまま発見され、銅鏡である三角縁神獣鏡33枚と画文帯神獣鏡1枚の合計34枚が見つかったという物凄い古墳である。この大量の鏡は、卑弥呼が魏という国家から送られた100枚の銅鏡の一部ではないかなど様々な仮説が立てられているが、黒塚古墳の衝撃的な発見は、ヤマト政権との関わりがどんなものであったか、鏡外交が当時の倭国全体で行われていた可能性など様々な謎が提示され、大変僕の興味を惹いた。黒塚古墳の実態を知りたいと思い、この古墳の隣にある「天理市立黒塚古墳展示館」に何度か足を運んだ(JR柳本駅から歩いて約10分のところにある)。そのうち、この一帯が「柳本古墳群」とよばれる場所であることが分かってきて、ますます面白くなっていった。山の辺の道は、僕自身学生時代に遠足で行ったきり忘却の彼方であったが、黒塚古墳への興味が一気に柳本古墳群、山の辺の道への興味へと発展した。

柳本古墳群の一つである黒塚古墳にて

以下、「柳本古墳群(13の古墳群)」の一覧である。引用したのは、『大和の古墳Ⅰ(新近畿日本叢書 大和の考古学 第二巻)奈良県立橿原考古学研究所 監修 泉森皎 編』〔人文書院〕からである。

古墳名 墳形 全長(m) 時期 前方部の向き
黒塚古墳 前方後円墳 130m 前期 西
櫛山古墳 双方中円墳 155m 中期 北西
行燈山古墳(崇神陵) 前方後円墳 242m 前期 北西
アンド山古墳 前方後円墳 120m  
南アンド山古墳 前方後円墳 65m  
天神山古墳 前方後円墳 103m 前期
ヲカタ(オガタ)塚古墳 前方後円墳 55m   北東
ノベラ古墳 前方後円墳 69m  
石名塚古墳 前方後円墳 111m  
シウロウ塚古墳 前方後方墳 120m   西
上の山古墳 前方後円墳 144m 前期
渋谷向山古墳(景行陵) 前方後円墳 300m 前期 西
柳本大塚古墳 前方後円墳 94m 前期

三番目の行燈山古墳は崇神天皇陵、12番目の渋谷向山古墳は景行天皇陵とそれぞれ治定されている。上から六番目の「天神山古墳」は、内行花文鏡や画文帯神獣鏡など23枚の鏡などが出土していて、黒塚古墳とともに鏡を大量に埋納した古墳として貴重である。しかし、この古墳の東半分は、国道建設に伴い削られてしまった。古墳内部には遺体を埋納した形跡がなく、すぐ東に行燈山古墳(崇神天皇陵)があるため、同陵の遺物のみを埋納した陪塚(ばいちょう)とも考えられている。近くのアンド山古墳、南アンド山古墳も行燈山古墳の陪塚と考えられている。

渋谷向山古墳前方部とその拝所

その他、僕が興味を持ったのが、それぞれの古墳の前方部の向きである。東に位置する龍王山に向かって建設されているのかと思いきや、全然違っていて、どういった法則性があるのか分からない。先人たちの知恵と技術には、現代人を超越した何かがあるような気がしてならない。こういったことを想像しながら山の辺の道を歩いた一年、柳本古墳群における散策の楽しさを存分に味うことができた。おススメの散策道である。

撮影機材:どちらも LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

人気ブログランキング

渋谷向山古墳の周濠(その2)

渋谷向山古墳の周濠

渋谷向山古墳(景行天皇陵)の周濠を撮影。この古墳は国道沿いにあり、奥に写っている建物群がその道路沿いのものである。拝所はその国道側にあり、さらにぐるっとここから半周ほど古墳の周りを歩かなくてはならない。国道側が、ちょうど渋谷向山古墳の西側にあたる。この古墳を囲む濠も結構規模が大きく、農業用水として使用されているようである。写真はズマロン三半レンズを使用、濠の水面の黒と木々の描写の階調が豊かであり古墳の雰囲気をよく伝えてくれている。いいレンズだと思う。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

人気ブログランキング

渋谷向山古墳の周濠(その1)

渋谷向山古墳の周濠(その1)

古墳の周濠に沿って歩いていくと、上の写真のような場所に辿り着く。冬場は古墳周りの草木も刈られていて、写真撮影には最適である。特にこの辺りの何もないところでゆったりとした気持ちで寛ぐのも良い。

撮影機材:LeicaMMonochrom(Typ246)+Summaron 35mm f/3.5(M)

人気ブログランキング